恋とは…?

したい。けど、恋が分からん。

人はどんな時、恋したというのか。

恋とは、特定の1人によって大きく影響された心的状態で、それはとても幸福であると感じるものであると思う。そして、経験する出来事や感情と、その人のことを何かと関連付けてその人のことが想起されやすい状況にあるのではないか。

でも、それって恋なのかな。今まで、特に異性との社会的つながりを避けてきたのでわからん。

 

いつしかの電子辞書で調べると、の定義はこんな感じであった。

 

広辞苑「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。」

 

明鏡国語辞典「特定の異性(まれに同性)を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち。」

 

新明解国語辞典「特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態。」

 

3つの定義の共通点は、

(1)切なさ

(2)感じる程度が強い

(3)特定の異性に向けての気持ち

(4)好き・愛・慕う

 

 

「切ない」とは…?

 

広辞苑「圧迫されて苦しい。胸がしめつけられる思いでつらい。」

 

明鏡国語辞典「悲しみや孤独に胸を締めつけられるような気持ちである。」

 

新明解国語辞典「自分の置かれた苦しい立場・境遇を打開するうまい手段が見出せず、堪え難いほど辛く思う気持だ。」

 

恋って、ネガティブとポジティブな感情を含んでいることが分かる。

 

「その人のことを、つらくなるくらいに好きになること。その時は幸福でもあり、苦しくもある。」

3つの定義をまとめるとすると、これが恋なのかもしれない…

 

恋をすると、意外にも幸せだけを感じることはなく、ネガティブな感情も経験するのか。多種多様な感情を経験するのは、とても人間らしいと思う。というか、生きてるって感じ。

そのような感情の動力は、人間に生を吹き込むのかもしれない。

 

何も感じないことは、何も動きがないことは、生の気を奪う気がする。

これまで、パニックになることがよくあった。それは、退屈な日々を過ごしている時。

 

何かに集中して、いろいろな感情が喚起されたとき、私は生きてるということを意識しないまま、存分に生きている。

 

逆に、退屈な時に生きてることを認識するときほど、パニックになってしまう。

 

恋を、特定の異性に向ける心的状態に限定することなく、様々な対象に向けられる(1)(2)(4)の気持ちも恋に含めるならば、私はたくさん恋をしたい。

 

いろいろなものによって強く感情を動かされ、幸福感ときには負の感情も味わい、生を無意識レベルで感じて生きたい!